世界陸上女子マラソン


ご苦労さんでした。大変な感動を頂戴しました。
福士さんの笑顔は駅伝でもお馴染みですが、銅メダルの笑顔は格別に素晴らしかったです。
木崎さんもよく追い上げました。野口さんは残念でしたが、野口さんの出場は福士さんを育てたと言われています。
これで隠退ということになると思いますが、この世界陸上に帰ってきてくれただけで大満足です。様々な感動を有難うと言いたいです。

馬鹿な殺人

馬鹿な殺人と言えば、どんな殺人でもおなじなのですが、子供の教育、躾の不一致で夫が妻を殺したという事件は呆れてしまいました。
確か子供はまだ2歳ちょっとの幼児であったと記憶しています。
母が殺され、父が殺人犯で捕まれば残された子供はどうなるのでしょうか。
子供のことで諍いになって、憎しみのために殺したというのはあまりにも道理に反して、それが真実であるならば馬鹿殺人の典型ですね。

旭日旗


旭日旗は、日本国旗である日の丸(日章旗)の日章から放つ光線の図案を意匠としたもので、日本のアジア侵略戦争の時に軍旗として使われたものです。現在も陸上、海上自衛隊もこの旗を使っています。
日章旗は国を象徴するものであり、旭日旗は現在の陸、海の自衛隊を象徴する旗です。
自衛隊は国を運営していくための基幹です。基幹であるということは日章旗に準ずる、我が国を象徴するに等しいものです。
その象徴である旭日旗を日本人が誇りをもって、如何に扱おうと他国から干渉を受ける筋合いはありません。他国からの内政干渉は強く跳ね除けて頂きたいです。
先の戦争に付いての謝罪や賠償は済んでおり、国際法的には解決済みです。
これまでに我が国は韓国や中国に多大なお金を使っています。
これ以上の干渉は難癖なのです。
強硬な対応は相手を刺激して、経済的に大きな損失が生じるからという有識者や政治家がおります。だけど言いたいことは強く主張し、遠慮なく対等にものを言って付き合う。そうしなければ真の友好的な付き合いはできないのです。日本の政治家は橋下さんのように、もっと思ったことを口に出して主張しなければと、はがゆく思っています。

マラソンの野口みゆきさん頑張れ

 身長150cm体重40kgの小柄な野口さんがストライド走法で力強く走る姿は感動的です。
アテネ五輪で優勝してからは故障続きで、調整で出場した駅伝では抜かれたりして、「ごめんね」と泣いている姿を思い浮かべます。
それが見事に復活して世界陸上に出場です。世界陸上の出場選考レースでは出場目標タイムである2時間23分を切れなかったのですが、積極的にレースを引っ張り、粘って3位になったことを評価され出場が決まりました。
あのストライド走法がまた世界の舞台で見れますので楽しみです。
 野口さん曰く、選考されたのに故障をしてしまってはなにもならない。
でも故障をするぐらいに練習をしなければよい走りは出来ないとおっしゃっていました。その自分に対する厳しい姿勢は大変印象に残っています。
アナリストの努力を見ていますと、人生は自分との戦いという言葉の意味がよくわかります。

8月6日原爆の日

 現在核兵器保有の資格を国際的に認めらて保有している国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国で、その他に確実に保有しているのはインド、パキスタンイスラエル北朝鮮です。保有の疑惑をもたれているのはイラン、シリア、ミャンマーと言われています。
 核兵器が使用されれば何十万とい犠牲者が出るわけですから、使用できない運動は大切だと思います。
使用させないようにするには友好関係を構築することが最も大切でしょう。
それが最も有効な手段ですから、憲法改正に反対する人達は軍を持たないで現状のままで、各国間の潤滑油の役割をすべきだと主張しています。
 理想はそうなんですが、それは机上の論議であって、欲の強い人間。
国益を第一に考えなければいけない国情を考えますと、諍いは避けられないでしょう。竹島尖閣問題はそのよい例です。
 核兵器以外に生物兵器化学兵器放射能兵器などがあり、そういう兵器を保有している国は上記以外に沢山あります。
 そういう兵器を多くの国が何故保有するのか。現実には諍いは避けられないという判断があるからです。
 北朝鮮が嘗ての我が国のように締め付けが厳しくなり、どちらの道を選んでも、どうにもならないのなら、いっそのこと先制攻撃をしようと、やけくそで日本に攻撃をしてくれば、わが国は独自で対抗できるのでしょうか。
人間社会では「備えあれば憂いなし」で、備えておかなければいけないでしょう。

盆踊りに参加

 昨日と今日の二日間団地内で盆踊りがあります。
マンモス団地ですから人出も多く賑わっています。
開催は何時も土曜と日曜ですから妻は仕事で、何時も盆踊りの時にはいませんので淋しいですが踊りに行きます。
 踊れるのは炭坑節、河内音頭江州音頭だけなのですが、その曲がなかなか流れません。見ていても仕方がないので踊りの輪に加わります。
民謡会のご婦人の方の後ろで真似て踊るのですが、やっと覚えた頃に次の曲になってしまいます。さぞ無様な恰好なのでしょうが、見ているより楽しいから踊ります。
「踊る阿呆に見る阿呆」という阿波踊りのお囃子の言葉があります。
乙に澄まして見ている人も、馬鹿になって踊っている人も中身はかわりません。同じ阿呆なら踊って楽しまなければ損損、人生は一度しかないのです。
大変趣のある言葉ですから、私は見に行った時は積極的に踊りの輪に加わるようにしています。
 ただ踊りの輪に加わって踊る人が少ないのは、曲目が変わりすぎることが一つの要因です。河内の方に行きますと河内音頭だけです。誰もが直ぐに覚えれるから踊りの場に加わりやすいのです。
民謡会のご婦人の方々の発表の場にして、次々に新しい曲を流すことが参加者を少なくしてるように思います。私のように踊りたいと思っている人も多いと思いますので、主催者は曲目を限定されること提案します。

蝉の死骸


歩いていると飛んでいた蝉が頭に当たるかと思われる
目前を路上に落下してきた
背を下にして手足をかすかに動かせてもがいている
直ぐに動かなくなった 絶命したようだ
蝉は死に場所を選ばないのか 蝉の様を見ていて
自分もそうありたい思った